【小説】八日目の蝉(角田光代)

【小説】八日目の蝉(角田光代)

角田光代さんの「八日目の蝉」を読みました。

「八日目の蝉」を手に取った理由

もともとはYouTubeで映画の「八日目の蝉」の予告を観て興味を持ちました。
母親役であろう永作博美さんのすごく優しいんだけど悲しげな表情と中島美嘉さんの歌が非常に印象的で、この映画は絶対おもしろい!と思ったのですが、映画を観る前に小説の方から読んでみることにしました。

というのも映画やドラマの方が登場人物の気持ちとかストーリーとか分かりやすく表現されていることが多くて、小説の方が自分なりに想像力を働かせながら自由に読めるので、どちらも好きなのですが順番としては、小説→映画・ドラマ の方が個人的には好きだからです。
(別の話になってしまいますが、「白夜行」の小説を読んだときから、小説→映画・ドラマ の順にしようと思うようになりました。ドラマも小説もかなりおもしろいのですが、「白夜行」は本だと主要登場人物の心情に関する描写が全然なくて、かなり想像力を働かせて読む感じで、読んだ人によって捉え方も違うかと思います。ただ僕の場合は先にドラマを観ていたので、小説の印象もそっちにかなり引きづられてしまいました…)



あらすじ

まずは本のカバーに書いてある文章を引用させていただこうかと思います。

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか……。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。

希和子は不倫相手の秋山丈博とその妻の恵津子の娘を誘拐してしまう。計画的な行動ではなく、こっそり様子を見るだけのつもりが、実際に目にした赤ん坊を前に目が離せなくなり、連れ去ってしまう。無謀なことも先が見えないことも十分に理解しながら、誘拐した赤ん坊を手放すことはできず「」と名付け、希和子は逃亡生活を始めます。
偽りの母子の逃亡生活に幸せはあるのか。
逃亡生活の結末はどうなるのか。

あらすじの説明をさぼりたい訳ではありませんが、「八日目の蝉」の雰囲気を知ろうと思うと、映画の主題歌になっている中島美嘉さんの「Dear」を聞いてもらうのが一番かもしれません。
歌詞も曲全体の雰囲気も物語にぴったりだと思います。




感想

切なくもあり、腹立たしくもあり、暖かくもあり、読んでいて本当に様々な感情を抱く話です。そして最後にはそういった様々な思いのあとに小さな光が見えます。
の父で、希和子の不倫相手だった秋山丈博が本当に最低な人間で、読んでいて腹立たしかったのですが、それについて書いてもあまりいいことはないと思うのでここでは置いておきます(笑)

前半は希和子、偽りの母と子の逃亡生活です。からすると自分が誘拐されていることは知らず、本当の母と思っているため逃亡生活ではないのですが。

「静かにして、薫。頼むから大きな声を出さないで」
私は薫の耳元で言い、走り続ける。道は下りになる。街灯がところどころアスファルトを浮かび上がらせている。雑木林に点在するゴミが、闇に白く浮かび上がっている。
(中略)
「ママ、暗いね」
 ようやく泣き止んだ薫が、甘えるような声でささやく。ふと足を止め、空を見上げた。ずいぶんたくさんの星が見えた。荒い自分の息が耳に響く。
「薫、見て、星が」
「星」薫は私の言葉をくりかえす。
 ああそうだ、この子は星を見たことがなかったのではないか。そんなことを思う。窓に切り取られた夜空しか見たことがなかったのではないか。こんな暗闇も知らないのではないか。
 それだけじゃない。あの白い建物しか、この子は世界を知らないのだ。町も、海も、空も、山も、満月も、季節も、電車も、公園も、遊園地も、動物も、スーパーマーケットもおもちゃ屋も、この子は絵本でしか見たことがない。本物を何ひとつ知らない。私はこの子からそれらすべてを奪ってきたんだ。
「ママ、こわいね」
「こわくないよ、薫。ママがいるからこわいことなんかないよ」私は背中のあたたかさに向かって言い、大きく息を吸い込み、また走り出す。
 これから私があなたに全部あげる。今まで奪ってきたものを全部返してあげる。海も山も、春の花も冬の雪も。びっくりするほど大きい象も飼い主をずっと待つ犬も。かなしい結末の童話もため息の出るような美しい音楽も。
                          (P.156)

を誘拐し、普通の子とは違う生活を送らせてしまっていることに対する希和子の罪悪感と、それでもとともに生きていこうという決意や、希和子のことを母親として慕い、信頼するの純粋さなど、様々な思いが感じられる印象的な場面です。

客観的な事実だけで言うと、「誘拐犯と被害者」で血の繋がりのない赤の他人になるのだけど、ヒヤヒヤしながら、手に汗握りながら読み進める二人の生活の中にはささやかな幸せがあり、「母と娘」だったように思えます。
親と子とはなんだろう、家族とはなんだろうと言うことを少し考えさせられます。

福山雅治さん主演の「そして父になる」でも似たようなことを考えた記憶があります。「そして父になる」では誘拐ではなく、病院のミスで子供の取り違えがあり、小学生に上がったくらい?で血の繋がりがない別の夫婦の子供を育てていたことが判明します。これまでともに過ごしてきた時間で親子と考えるのか、血の繋がりで親子と考えるのか…

親子というものを定義付けする必要もないかと思いますが、強いていうなら、血の繋がりは必須ではないけど通常あるもので、お互いを思う気持ちやそういう気持ちを持って過ごした時間が必須条件なのかなと個人的には思ったりしました。
そういう考え方でいうと希和子も一般的な親子にはある血の繋がりはないけど、親子だったんだと思います。正確にはそう思いたくなりました。

きっかけは誘拐という犯罪からですが、簡単に希和子を悪い人とは思えず、こんな二人の生活がなるべく長く、なるべく穏やかに続くといいなと思いながら読みました。人によって、どんな思いで希和子を見るかは違うと思うので、ぜひ読んでいただければと思います。

※ここからはしっかりめのネタバレになるので、そういうのが嫌いな人は本を読み終わってから読んでもらえると嬉しいです。

希和子と引き離され、もとの家族に戻り、様々な問題にぶつかりながらも大人になったが友人の千草と小豆島を訪れる場面。フェリーの中での千草の会話です。
ちなみに小豆島は、逃亡生活の中で希和子と幼いが幸せな時間を過ごした島です。

「意外と揺れないんだね」
海苔巻きを食べていた千草が、窓の外をのぞきこむ。
「だって瀬戸内の海だもん」私は言い、言ってから驚いた。まるで自分ではない誰かは、その一言を合図のようにして話しはじめた。人の話を聞くみたいに私は自分の声を聞いた。
「あのね、千草、瀬戸内の海、すっごい静かなんだよ。ほんと、なんか、鏡みたいなんだ。その鏡にさ、何が映ってると思う?それがね、なあんにも映ってないんだよ。雲も、まわりに浮かぶ島も、不思議なくらいなんにも映ってない。なんにも映んない鏡なの。ただシーンと銀色なの。その銀色の上をさ、さらさらさらって撫でるようにして、陽が沈んでいくんよ。ぽこぽこ突き出た島が、ゆっくりとシルエットになっていくんよ」
 なんで私はこんなことを言っているんだろう。不思議に思いながら、同時に納得もしていた。この子を産もうと決めたとき、私の目の前に広がったのは、その景色だったのかもしれない。海と空と雲と光と。
 新幹線のなかで感じた恐怖が、今自分のなかにこれっぽっちも残ってないことに私は気づく。だいじょうぶ、きっとだいじょうぶと、何か大きな手のひらが、背中をさすってくれているように感じた。
 そう、だいじょうぶ。なんの心配もいらない。子供が生まれたら立川の実家に戻ろう。母親になれなかった母と、どんな人を母というのか知らない私とで、生まれてくる赤ん坊を育てよう。父であることから常に逃げ出したかった父に、父親のように赤ん坊をかわいがってもらおう。もし両親が役に立たなくても、私がだめ母でも、千草がいる。真理菜もいる。そうしたら私は働くことができる。働いて、赤ん坊にかわいい服を着せて、おいしいものを食べさせて、なんの心配もいらないんだということを教えてあげよう。
                          (P.356)

希和子との数年間の逃亡生活ののち、もとの両親のもとに戻ったでしたが、にとっては知らない両親、両親にとっても0歳からの数年間が抜け落ちてしまった娘、うまくいかず苦しい生活が続きます。

その苦しさを希和子のせいにし、希和子を憎むことでごまかしてなんとか生活を送っていくなかで、逃亡生活時代に友達であった千草に出会います。それから少しづつ幼い頃の思い出、希和子との思い出に向き合うようになり、幼い頃ママだった人との思い出を支えに前を向く場面です。

もちろん希和子の家族をめちゃくちゃにしてしまったということは事実です。(個人的には誘拐されなくても色々と問題を抱えていた家庭で、そんなに変わらなかっただろうとも思っていますが)
でも数年間はの母であったんだと思うし、希和子の娘だったんだと思います。

希和子とのあたたかい思い出を胸に前に進みはじめますが、希和子はどうなったのか。散々ネタバレしたあとですが、ぜひ読んでみてください。

「八日目の蝉」を読んで得たこと・学んだこと

希和子が母子だったのは数年間だけですが、この数年間は二人にとって、生涯忘れることがなく、二人の生活を明るく照らしてくれる時間でした。
僕自身、小さいころの家族とのあたたかい思い出をパッと思い出すことがあったり、誰かと過ごした大切な時間が自分の人生においてプラスになっていると感じることがあったりします。
希和子に対して思ったのと同じように、海も山も、春の花も冬の雪も一緒に見て、かなしい結末の童話を読み聞かせたり、ため息の出るような美しい音楽も一緒に聞いたり、そういう時間を家族や大切な人と少しでも多く過ごせるよう日々を大事に生きたいと思いました!