【小説】聖の青春(大崎善生)

【小説】聖の青春(大崎善生)

 松山ケンイチ主演で映画にもなっている大崎善生さんの「聖(さとし)の青春」を読みました。

この本を手にとった理由

 僕がこの本を読んでみようと思ったきっかけはYouTubeで観た映画「聖の青春」の予告編でした。

 1分半の短い映像ですが、秦基博さんの爽やかな歌にまず惹かれ、
松山ケンイチ:大丈夫ですよ。人間いつかは死にますから
リリーフランキー:まだ死なん
のやりとりがなぜかすごく印象に残りました。

 個人的に映画化・ドラマ化されている小説の場合、映画・ドラマで観るより、本で読むほうが面白く感じた経験が多かったのでまずは小説から読んでみることにしました。

あらすじ

 ざっくり言うと、難病と闘いながら将棋の名人を目指し、短いながらも非常に濃い29年間を生き抜いた天才棋士の話です。

 村山は幼くしてネフローゼを患いその宿命ともいえる疾患とともに成長し、熾烈で純粋な人生をまっとうした。彼の29年は病気との闘いの29年でもあった。
 村山は多くの人の愛に支えられて生きた。
 肉親の愛、友人の愛、師匠の愛。
 もうひとつ、村山を支えたものがあったとすればそれは将棋だった。
将棋は病院のベッドで生活する少年にとって、限りなく広がる空であった。
 少年は大きな夢を思い描き、青空を自由にそして闊達に飛び回った。それははるかな名人につづいている空だった。その空を飛ぶために、少年はありとあらゆる努力をし全精力を傾け、類まれなる集中力と強い意志ではばたきつづけた。
 夢がかなう、もう一歩のところに村山はいた。果てしない競争と淘汰を勝ち抜き、村山は名人への扉の前に立っていた。
 しかし、どんな障害も乗り越えてきた村山に、さらなる大きな試練が待ち受ける。         
(中略)
本書はその愛と闘いの記録である。
これは、わずか29歳で他界した稀有な天才棋士村山智の青春の物語である。
                         (P10)

 村山聖という名前は多くの人は知らないのではないでしょうか。僕自身、将棋はルールを知っている程度で、この本を読んで初めて村山聖さんのことを知りました。あの羽生善治さんが「本当の本物の将棋指し」と村山さんのことを表現しており、「東の羽生、西の村山」と言われるほどの棋士だったようです。

 そんなすごい棋士でありながら、どこか子供っぽくて、誰よりも人間らしくて、純粋でユーモアのある魅力的な一人の人間の人生の話です。

感想

 全体について言うと、すごく良い本で何度も読みたい小説だと思いました。

 とにかく村山さんが魅力的で読み始めると止まらなくなります。

将棋を知りそれにのめりこんでいくことによって聖の内面に大きな変化が現れていた。
 聖が将棋という途方もなく深く広がりのある世界を自分なりに覗き込み、理解しようと努力したことがすべてのはじまりだった。自由に体を動かせないことからくる苛立ちや、身近にある友達の死という絶望感すらも自分自身の内に抑え込むことができるようになっていた。風を切って走り回る緑の草原よりも、春先の山よりも澄みきった川よりも、将棋は聖にとって限りない広がりを感じさせるものだった。
 聖にとって将棋は大空を自由自在に駆け巡らせてくれる翼のようなものであった。
 だから施設での生活もベッドの上の空間も、もうつらくはなかった。知れば知るほど、勉強すれば勉強するほどに広がっていく世界に聖の心は強く惹きつけられた。しかも運のいいことに、聖が手に入れた将棋という翼は、多くの子供たちが抱くはかなく泡のように消えていく夢とは違い、それは簡単には折れない翼だったのである。
                            (P38)

 小さい頃から患ったネフローゼという病のため、病院で過ごす時間の長かった村山さんの生活を将棋との出会いが変えた瞬間です。

 将棋は大空を自由自在に駆け巡らせてくれる翼って表現、すごく素敵ですよね。自分にも村山さんにとっての将棋のようなものがあるかなと考えてみたんですが、今のところないです。時間が経つのも忘れて、生涯かけてのめりこめるもので出会えるって多分すごく幸せなことですよね。

 この本を読みながら自分の人生を思い返してみたのですが、好きなものに打ち込むってのも勇気がいるなと思いました。自然が好きなので風景を撮る写真家になりたいと思ったり、サッカーが好きでサッカー選手になりたいと思ったりしたことはあるけど、結局無難に勉強して、無難にサラリーマンになって大人になりました。これまでの人生に後悔があるわけではないけど、何かに全力を注ぐって勇気がいって、なかなかできませんよね。

 思い切ってチャレンジしたいことがあるときは是非この本を読んでみてください!背中を押してくれると思います!

 体調は突然に崩れることが多かった。
 対局の朝、部屋を出たのはいいが玄関からどうしても動けなくなる。這うように外に出たとたんにアスファルトの上に崩れる。気息を整えて立ち上がろうとするのだが手足が微動だにしない。焦りと悔しさで目頭が熱くなってくる。もうだめだ、また不戦敗だと覚悟を決める。このまま、アスファルトの上で朽ち果ててしまおう。そう思い、道路の上にへたり込む。
                          (P154)

 なかなか想像できない世界ですよね。将棋の世界の厳しさはこの本を実際に読んでもらうと多少わかるかと思いますが、非常に厳しい世界で、ある棋士の「兄は頭があまり良くないから東大にいった」って言葉も、なるほどと思えてきます。(どこかで聞いたような気がするくらいの言葉なので間違っていたらすみません)そんな世界で病気と闘いながら、勝ち進んでいくのがどれだけ大変か、村山さんがどれほどの思いで将棋に取り組んでいるかわかる印象的なシーンです。

 これだけ好きな将棋で、命をかけて名人を目指す道の途中で、病気によって不戦敗になるっていうのはどれだけ悔しいことなんだろうか。僕にとっては村山さんにとっての将棋のような命をかけてやりたいことというのがないので想像しても仕切れないですが。

 でもこの続きのシーン。

すると、「大丈夫か?」と声をかけてくれる人がいる。近所の三谷工業という電気工事屋の人だった。
「どうしたん?」
「あのう」
村山は口だけをようやくぱくぱくと動かした。
「なんかあったんか?」
「いえ、なんともないんです。お願いです、僕を将棋会館まで連れていってくれませんか」
「歩けんのか?」
「はあ」
「よし、わかった。いま車を回してやるからな」
                          (P155)

 三谷工業のおじさんありがとう!と思いました。

 電気工事屋のおじさん以外にも、家族や友人、そして師匠と村山さんは多くの人に支えながら名人の夢を目指します。もちろん周囲の人もいい人ばかりなのですが、何より村山さんの純粋で1日1日を真剣に生きる姿が人を惹きつけるんじゃないかと思います。このシーンはここだけ抜粋して読むと地味な場面かもしれませんが、実際に読むと村山さんの将棋への情熱というか、なんとも言えない執念のようなものにグッときます。

 紹介したい場面をほかにもいくつもあるのですが、是非初めから最後まで読んでほしいです。村山さんのことを好きになりますし、人に優しくなれるし、明日からこれまで以上に頑張れる本です。

 文句なしにオススメの本です。映画の方も観てみて紹介しようと思います。